INTERVIEW

2019.02.8

ものづくりの人々。[紙営業士 西谷 浩太郎さん/第3回]

ひとつの印刷物が完成するまでに、その過程にはさまざまな人がかかわっています。
彼らは日々、どのように考え、制作の現場に向き合っているのか。
あらゆる職種の方々へのインタビューを通して、
今の時代において、人々がものづくりで大切にしていることを探ります。
一人目に登場していただいたのは、平和紙業の紙営業士・西谷浩太郎さん。
紙加工への情熱が生まれたきっかけや仕事のこだわりなどを、じっくりと語っていただきました。

 

西谷浩太郎

にしたに・こうたろう/1977年、大阪生まれ。立命館大学政策科学部卒業。2001年、平和紙業株式会社入社。入社のきっかけは就職活動で手にした会社案内のデザインに惹かれたことから。大阪の本店で7年間勤務した後、東京へ異動。営業統括本部東京販売推進部に所属し、紙のプロモーション活動を行う。紙加工によるものづくりにも詳しく、多くのデザイナーから頼られる存在である。

平和紙業株式会社
1946年創立。ファンシーペーパーを中心に取り扱う紙の専門商社。 特殊紙、高級紙、技術紙をはじめとする各種紙素材の開発、販売、輸出入のほか、紙を素材とする新商品開発と商品化を行う。
http://www.heiwapaper.co.jp/

第3回 師匠のこと。

西谷さんに先輩のような存在の方はいますか?

西谷:岡信吾さんという、私にとって師匠と呼べる存在がいます。私は平和紙業に入社してから7年間大阪の本店に勤めていたのですが、はじめの3年間は紙の受注を担当する部署にいて、4年目に販売推進部の配属となりました。そのときに出会ったのが岡さんです。岡さんは当時66、7歳くらいで、平和紙業のデザイナーであり取締役でした。直属の上司ではなかったのですが、私は岡さんのかばん持ちになろうと決めて、できるだけそばにいました。

なぜそうしたのですか?

西谷:販売推進部に就いてから、紙の提案のために、おもにデザイン事務所を回ることが仕事になりました。でも、最初私はデザインのことがわからず、また、デザインについて興味がなかったこともあり、デザイナーさんと会話がまったく成り立たなくて。恥ずかしいことに、田中一光さん(※)と言われても誰かわからなかったくらいです。それでデザイナーさんのところへ行っても話が盛りあがらず、しだいにデザイナーさんのところへ行くのがつらくなってきてしまいました。

※田中一光(1930-2002):20世紀の日本のグラフィックデザインを牽引したデザイナー。ポスター、ブックデザイン、シンボルマークなど幅広く手掛け、日本の伝統を現代化した表現は国際的にも高い評価を得た。日本万国博覧会(1970)では日本政府館一号館の展示デザインを担当。2000年文化功労者。

西谷:これは私が入社した頃の弊社の会社案内です。入社したときに、何だかかっこいいものを作っている会社だなあと感じていて。こういう冊子や紙の見本帳の制作に当時携わっていたのが岡さんで、この人の横にいてみようと思ったんです。
岡さんには専用の部屋があったのですが、社外のデザイナーさんや印刷会社の方などが入れ代わり立ち代わり訪れていました。みなさん、紙だけでなくさまざまな相談をしに来ていて、そこでものづくりのための打ち合わせが行われていたのです。岡さんは平和紙業で紙の開発をしていて、商品のコンセプトからはじまり、どこのメーカーのどの機械を使えばその紙が作れるのか、といった知識と経験も持っていて。さらに商品のネーミングからプロモーションに至るまで、一通りやっていました。
それに話も上手な方でしたから、その部屋からはいつも楽しそうな声が聞こえていて。サロンのような場所でした。

西谷さんも岡さんの部屋へ行くようになったのですか?

西谷:はい。もう外回りはいったん辞め、勝手に岡さんの机の横に自分用のパイプ椅子を置いて。岡さんは止まることなくずーっとしゃべる方だったのですが、私も夢中になってずーっと聞いていました。聞くことすべてが、私にとって新しいことばかりだったんです。例えば「柿の葉寿司の葉はお寿司を包む役割があり、かつ殺菌効果も兼ねた非常に優秀なパッケージ素材である」とか、「キューピーマヨネーズの絞り口が星形なのはなぜか」とか。デザイン事務所を回るにはそういうことも知っておかんと駄目だなと思って、聞くそばからメモを取っていました。

岡さんはフットワークも軽くて、イベントやパーティ会場によく足を運んでいて、私もかならずついて行くようにしました。主催者から一言お願いしますと頼まれると、その場でさらっとスピーチもできてしまう方で。「岡節」って呼ばれていて、みんなが岡さんの話を楽しみにしていたんです。東京出張に同行したときには、美術館やギャラリーに連れていってもらいました。「わからなくてもいいから、とにかくいろいろなものを見なさい」と日頃から言われていましたから、自分でも大阪の国立国際美術館に現代アートをわからないなりに見に行ったりして。

デザイナーさんと仕事をするうえで土台となるものを、岡さんを通じて吸収されていったのですね。

西谷:ええ。デザインておもしろい世界なのかもしれないな、と気づけたのは岡さんのおかげです。岡さんのほうも、わからないまま外回りするよりも僕の話を聞いていたほうがためになるから、という感じでした。

センスは日々の生活から

西谷:岡さんはセンスという言葉をよく使いました。「ふだんの生活の中で意識しなさい」と言っていましたね。それと、岡さんは身に付けるものもいつもおしゃれでした。ある日、ジャケットの胸ポケットにボールペンをさしていたら、「そこに入れていいのはハンカチだけだ。どうしてもボールペンを入れたければ、内ポケットにしまいなさい」と怒られたことがあって。仕事のこと以外にも、身なりから生活のあり方まで、あらゆることを厳しく言われました。

仕事やふとした会話の中に、岡さんはセンスが出ていました。岡さんが開発した紙に「モコ」という紙があります。これは岡さんがイタリア旅行でコモ湖という湖に立ち寄ったときに、湖面が風に吹かれて波立ったそうで、そこからインスピレーションを得てコモ湖の「コモ」を逆さにして「モコ」。淡いすだれ目の紙が生まれました。ほかにも、空を見上げたときに浮かんでいた雲から発想を得て「アトモス」という模様の入った紙ができたり。

詩人のようですね。

西谷:センスって、自分の中で磨いていくものではないでしょうか。いいものを見て、触れて、感性を刺激させる。それはデザイナーでなくても、日々養わなければならないと思っています。岡さんは本当にいろいろな面で私に影響を与えてくれました。遺伝子というか、岡さんの教えは今でも私の中に残っています。

岡さんとはどれくらいの間、一緒にいたのですか?

西谷:それが1年間だけでした。年齢のこともあって退職されたんです。岡さんは自分の後釜となるデザイナーを育てていなかったのですが、「辞めるけど、まあ西谷くんが引き継ぐんで」と言い残して去って行ってしまいました。

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目次
・第1回 実は、紙が好きなわけではないんです。 2018.10.12
・第2回 OKフロートで検索したら、西谷と出てきた。 2018.10.26
・第3回 師匠のこと。 2019.02.08
・第4回 「等身大の鏡を持ちなさい。」 2019.03.04
・第5回 予期せぬことが、紙をおもしろくする。 2019.04.01

Photo/Saeko Ishikawa Text/Haruka Suwa(ともにTEC-LAB+編集部)